

いよいよ、世界が熱狂するFIFAワールドカップTMドイツ大会が開幕します。新潟県十日町市には日韓ワールドカップでクロアチア代表チームがキャンプをした、「クロアチアピッチ」という素晴らしい財産があります。その時、私たち市民は「世界のサッカーの技」に魅了され、子供たちに夢を与えてくれた代表選手に感謝し、試合の都度大応援を繰り広げました。
また、あの感動を胸に「みんなで日本代表とともに、クロアチア代表を熱烈応援したい」「ぜひ日本とクロアチアの2か国がグループリーグを突破してほしい」との多くの声があります。
今から4年前の2002年6月30日、世界を熱狂に包んだFIFAワールドカップはブラジル5回目の優勝で幕を閉じました。勝者だけに栄光が与えられるスポーツの世界で、ブラジルのほかに“もうひとつの優勝”を手にした国があります。その国の名はクロアチア。代表チームが新潟県十日町市で行った14日間のキャンプで、彼らは人々の心に清々しい思い出を残し、たくさんの友情を育みました。そして、勝負を超えて永遠に輝く“もうひとつの優勝”を手にしたのです。
キャンプ期間中、シュケル選手は、「クロアチア代表が優勝するのは難しいかもしれない。しかし、ワールドカップにはもう一つの優勝がある。それはホストとなってくれた町の人々と友情を育み、素晴らしい思い出を残すことが、優勝にも値する大切なこと」と話していました。その言葉通りクロアチア代表は、子供たちや地域の人々との友好を大切にする姿勢、プロフェッショナルとしてひたむきに練習に打ち込む姿勢を示しました。また、ある日の記者会見では、ベテラン中心のチーム編成についての質問に、「本来ここにいるべき若手は墓の下で眠っているのだよ」と、国家独立のために流された多くの犠牲とクロアチアの歴史を知らされました。こうした姿が人々の心をとらえ、感動を刻んだのです。
あの日から4年が過ぎ、再びワールドカップの幕が開こうとしています。母国の応援に世界中が盛り上がる時期ではありますが、どうか多くの人々から、クロアチア代表とキャンプ地となった市民との暖かい交流を知っていただき、日本代表とともにクロアチア代表を応援していただけることを願ってやみません。
試合後の握手。互いを讃え、笑みがこぼれる瞬間

クロアチア代表と十日町市民、言葉は違っても、心は通じあえるものです。2002年5月25〜26日、富山市に遠征に出た選手たちは、『我が家に到着した』と言いながらに、ベルナティオに帰って来たといいます。それほどまでに十日町市のことを気に入ってくれたのです。そして十日町市民の間にも、公開練習やサッカースクールの様子、選手の人柄に胸を打たれ、「地元チーム」を応援しようという気運が一気に盛り上がりました。
クロアチアのワールドカップ初戦、新潟でのメキシコ戦には、100人を越える市民が大型バス2台でスタジアムに駆けつけ、メキシコサポーター相手に大応援を繰り広げました。スタジアムには十日町織物工業協同組合青年部会が作ったクロアチアの巨大国旗をはじめ、市民のメッセージを集めた大きな紅白旗がはためいていました。クロアチア人サポーターと肩を並べ、応援する市民の姿をスタジアムのあちらこちらで見ることができました。
第2戦、第3戦は、大勢の人々が大型テレビの前に集まり、声援を送りました。イタリアを破った瞬間、会場は歓喜に包まれました。エクアドルに敗れた第3戦では、悔し涙とクロアチアへの感謝・ねぎらいの言葉があふれました。大会は終わりました。しかし、夢と感動をくれたクロアチア代表に感謝し、これからも多くの市民が応援を続けることでしょう。(記念誌『Hvala Hrvatska』より) |
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寄せ書きをした巨大フラッグを手に新潟スタジアムに向かう市民
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